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出川香澄  でがわかすみ


1972年、石川県生まれ。95年、日本大学芸術学部写真学科卒業。
第10回、11回の「3,3u展」に選ばれる。他にもグループ展多数。
97年以降、女性ファッション誌を中心にフォトグラファーとして活動。
01年、中国雲南省思茅地区古城にて撮影旅行中交通事故に遭う。

出川香澄ポートレイト




回想 出川香澄

上に掲げた写真は、以前からお気にいりの1枚で、長く私の部屋にも飾られていたものです。物憂げな澄んだ瞳が真っ直ぐこちらの視線を射抜くようで、いつまでも見つめてしまう不思議な魅力に溢れています。でも彼女は別にモデルでも女優でもありません。むしろ撮られるよりは撮る側、そう、私が出会った時は、日大の写真学科を卒業して、カメラマンとしての一歩を踏み出したばかりでした。、そのころ映像にも興味を持っていたらしく、武藤起一氏の映画製作講座(NCWの前身)に通っていた関係で私と知り合ったのですが、初めて会った瞬間、その妖しく艶やかな風貌と瞳の美しさに魅せられてしまい、ほとんど初対面で、いきなり写真のモデルをお願いしたのです。
撮影は96年の2月。上の写真も、その他のポートレイトも、千葉にある彼女のお宅にお邪魔して撮らせてもらったものです。撮るのは得意でも、撮られるのは苦手だという彼女は、確かに表情もポーズもぎこちなさげでしたが、それでも、並ではない眼差しの力と存在感を、フィルムにしっかりと刻印してくれました。
実はそのころ私は、映像個展と併設した初めての写真展を控えており、引き伸ばし機を購入して自分で白黒写真を焼くことを考えていました。彼女はもともとそっちが専門だったので、どんな機種を買えばいいのか、どんなペーパーが使いやすいか、などの相談にも乗ってもらい、何とその写真展では、セッティングや受付まで手伝ってもらいました。モデル、アドバイザー、そして当日スタッフと、まさにその時期彼女は、私の写真のよきナビゲーターだったわけです。



 5日間受付もこなした彼女。左は映像作家の和田淳子さん
 写真展の記録写真も撮影してもらいました…



その後、直接やりとりをする機会は減っていったのですが、ガーディアンガーデンの一坪展に入選したり、ファッション誌を中心に徐々に活動の場を拡げていると聞きました。武藤氏が99年にプロデュースした「アベックモンマリ」のパンフ写真なども手がけており、私も次の作品ではスチールの仕事で声をかけてみようなどと思っていたのですが、そんな折、2001年の7月に起きた中国雲南省でのバス転落事故で、日本人カメラマンが死亡したという話を耳にしました。名前に聞き覚えがある気がしてネットで記事を確認したところ、「フリーカメラマン・出川香澄さん」と、彼女の名前がありました。
1972年生まれの彼女は、その時まだ29歳。撮影旅行の途中の事故だったといいます。言葉も出ませんでした。

それから1年後、つまり去年の夏、銀座のコダックフォトサロンで彼女の追悼写真展が開かれました。彼女は学生時代から旅をしながら、ヒッピーやその土地の人たちの生活に密着した作品を多く撮っていたのですが、展示された写真からは、彼女の瞳に映ったであろう情景が実に生き生きと、その場の臨場感とともに浮かび上がってくるのでした。おそらく、人生とともに旅があり、旅とともに写真があると、彼女自身も感じながらシャッターを切っていたのでしょう。それがまさか、こんなにも早くその旅に終止符が打たれてしまうなんて…。
会場には妹さんがいらっしゃったので、私の手元に残っていた、あのころ焼いた彼女のポートレイトを何点かお渡しすることができました。
「きっと父が喜びます」と微笑んでいらしたその表情からは、少しだけお姉さんの面影が見てとれました。
あれから、また1年。過ぎる時間の速さにはため息がこぼれるばかりです。私は年を重ねて40代になりましたが、写真の中の彼女は永遠に20代のまま、その水の底のように澄みきった眼差しを、こちらに投げかけ続けているのです。
(2003/7/28 出川香澄・三回忌の日に)




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