12 わがアルコール遍歴(12月)早いもので、今年も終わりが近づいてきた。この季節は、忘年会やら新年会やらで、世間の人は普段以上に酒席が増えるだろう。というわけで今回は、アルコールと私の、二十数年におよぶ「蜜月」について思いつくまま書いてみたい。 自覚的に酒を飲み始めたのは、高校時代くらいからだと思う。二十歳未満の飲酒が法律違反なのは誰でも知っているが、やはりその年代くらいから好奇心も手伝って口にする人が多いのではないか。自分の場合、部活動のコンパで覚えたというより、初めから日々のうさ晴らしや現実逃避のための、どちらかと言うと「陰気な酒」であった。中学三年の秋に、進学塾の国語のテキストに佐藤春夫の「病い」という詩が載っており、その最後の一節「盃とれば酔いざめの 悲しさをまず思うこと」というフレーズが、当時の自分の大のお気に入りであった。「なるほど、酒は飲んでる時は気が紛れるが、醒めると空しいものなのか」と、15歳くらいでわかったように感心し、その数年後、実際に酒の味を知るに及んで、「酔いざめの哀しさ」をひしひし実感したのであった。何とも暗い思春期である。やはり同時期に濫読した太宰治の小説にも、実によく酒を飲む描写が出てきたが、人生の敗残兵を気取りつつ酒をあおるというデガダンスなポーズが、当時の自分には格好いいと思えたのだろう。12時を回ったころ台所に行き、そこにあった家の酒(日本酒、ビール、ウイスキー)などを深夜こっそりとコップに移し、冷蔵庫の中の残り物を肴に飲むというのが日常のことになっていた。しかしそのうち、家人にそれを見咎められたため、ビールの一口サイズ(350ml)を1ダース単位で購入し、自分の部屋にキープしておくようになったのが高校2年ごろである。詳細は省くが、多分酒なしではやっていけないくらい生きていることがしんどかったのだと思う。つまりはある種の精神安定剤で、したがって「美味しい」と思って飲んだ記憶はほとんどない。太宰の小説にも酒はうまいかと訊かれた主人公が「まずいよ」と、吐き捨てるように答える場面があり、これも妙に印象に残っている。 そういうすさんだ高校生活を送っていたため、3年の秋に学園祭で作った「貝殻」という8ミリ映画も、高校生が鎌倉の海で服毒心中を図るという救いのない作品であった。しかし作品の評価はそこそこよかったため、打ち上げはかなり盛り上がり、新宿の飲み屋(今のような居酒屋ではなくカフェバーの走りのようなところ)でウイスキーをがぶ飲みして完全に意識を失い、店からかつぎ出されるという失態を演じた。店員からは「高校生の分際で」などと非難めいた言葉を投げつけられたらしい。その後は、Oという面倒見のいい友人がタクシーで自宅まで送ってくれたのだが(よく金があったなと思う)、その途中、私の呼吸が一時的に弱くなり、Oは本気で救急車を呼ぶことも考えたという。まあ、そうなると事態は公けになり多分高校は停学だから、呼ばなくて正解だったのだろうが。翌日親は、そのコンパに参加した連中の家に一軒一軒電話して平謝り、私はといえば、当然の報いながら二日酔いの苦しさをこれでもかというほど味わった。思えば受験数ヶ月前に、ずいぶん無茶なことをやっていたものである。ちなみにその映画のヒロインというのが、今や日本全国、いや世界中の酒を飲み歩き、その様子を雑誌や単行本で発表している「酔っぱライター」の江口まゆみさんである。彼女は当時からかなりの酒豪で、私が酔いつぶれた時も平然とウイスキーを飲み続けていたから、現在の仕事は天職と言うべきだろうか。 そして、大学時代。自分が大学に入ったころは、まさに「コンパ」「一気飲み」の全盛期だったが、入ったサークルが地味な映画研究会だったので、それほどひんぱんに飲み会を催すこともなく、高校時代よりも酒に造詣が深まったということはなかった。ただひとつの例外は、ひとつ年上のTという先輩と行った新宿か渋谷のバーで、IWハーパーを知ったこと。それまでバーボンはあまり飲んだことがなく、サントリーなどの国産かスコッチばかりだったのだが、その時彼に勧められて初めてバーボンを飲み、そのワイルドな味と舌触りがとても気に入り、それ以降ウイスキーといえばハーパーやアーリ−など、バーボン一辺倒になった。余談ながら、当時はバブル全盛期で、そのT先輩は人気の山一證券に入社、将来は安泰と思われたが、その山一も今やこの世にない。彼は今どこで何をしているのだろう。 その後の社会人時代は、上司の付き合いで、今のキャバクラの走りのようなところや、料亭まがいの場所にも連れて行かれたりしたが、会社の後まで仕事がらみの話というのはどうにも苦手で、そういうところで飲む酒はちっともうまいと思えなかった。なお、その時私が勤めていたNというリゾート会社も、バブルの崩壊であえなく倒産、社長は自殺を図って週刊誌ネタにもなった。私にお酒をおごってくれた先輩や上司はみんな今どこで何をしているのだろう(こればっかり)。 ともあれ、大学、社会人時代くらいから、少しずつお酒の美味しさというものを知るようになり、現在でも晩酌は欠かさない生活が続いている。うちは両親ともにかなりの酒好きなので、遺伝的なものもあるのかも知れない。 また、自分がこれまで作ってきた映像作品にもお酒を飲む描写が多数出てくるが、これは私自身の嗜好の反映と考えて、まあよさそうだ。しかし「カナカナ」でも「火星のわが家」でも、「(酒を飲んで)ずっと寝てたい。目が覚めた時がいやだから」(中学生・隆人のセリフ)とか、「酒でも飲まないとやってられないですよ」(堺雅人くん演じる透のセリフ)とか、登場人物がそろってヤケ酒気味なのがトホホ…、ではあるが。今年の初めに撮った「実験室」にも増沢望さん扮する作家・深瀬がウイスキーをストレートでがぶ飲みするシーン(これもある種のヤケ酒)が出てくるし。そう言えばその増沢さん、最近ギネスビールのCMに出ていたのでちょっとビックリ(あまりにクリーミーな泡なので、口の跡が残ってしまいました、って奴)。 映画のことに関わるようになって、顔合わせを兼ねたスタッフやキャストの飲み会、現場打ち上げ、完成試写後の打ち上げ、公開初日の飲み会、などなど、さまざまな口実での飲みの席があることを知った。撮影現場が終わって間もない打ち上げは、現場の高揚感、スタッフ、キャストの一体感もあり、なかなか快いものだと思う。しかし、それも朝まで付き合うということはほとんどない。この20年で酒はそこそこ強くなったが、12時を過ぎてだらだら飲み続けるのは苦痛だし、また、リラックスできて楽しいと思えるのは相手が二人から四人くらいまで。それ以上人が多いと妙に気疲れしてしまうのだ。しかし世の中にはいろいろな人がいるもので、「自分はお酒の席のにぎやかな雰囲気が好きなので、お酒はなくても構わないんです」などと言ってウーロン茶だけで朝まで酒場に居続けた女優がいたが、ああいうのは到底理解できない。酒の席というのはあくまで酒を飲み、楽しむ場である。パチンコ屋に行って打たない奴がいるだろうか? 「酔っぱらわずして何の酒席だ。みんな酔っぱらっていい気分で好き勝手なことを言ってるのに、自分ひとりだけウーロン茶で、あとのみんなの乱れっぷりをシラけた目で観察しているなんてのは悪趣味だ、鼻持ちならない!」と彼女には怒りを覚えたことさえあるのだが、当人に言わせると、酒を飲まなくてもその場の雰囲気だけで、ある種のトリップ感というのは味わえるそうだ。ところが私自身はといえばそれとは正反対で、かなり飲むし、それなりに酔いもするのだが、「大嶋さんは酒の席でのことを記憶し過ぎている」と、後日ひんしゅくを買うことがしばしばある。どういうわけか外で飲む場合、頭はそこそこ冷静かつ明晰なのだ。もしかすると、先ほど書いた高3の時の泥酔事件がトラウマ(?)になって、外での飲酒には用心深くなっているのかも知れない。 いずれにせよ、外で飲むことより、自宅でちびちびやることの方が多いのはあい変わらずで、そういう意味では思春期以来の「暗い酒」を引きずっていることになる。 一人酒のよくないところは、ついつい量を過ごしてしまうことで、知らないうちに1日に飲む量は確実に増えてきている。例えば、10年前はだいたいワイン(750mlのフルボトル)を2日で飲み切っていたのだが、最近は1回でほぼ1本空いてしまうし、日本酒にしても、ひと晩で三合は確実に消費している。こうなると心配なのはアルコールによる肝機能障害という奴で、四十代になったことだし、そろそろ「一日二合まで、週に二日は休肝日を」という方針で行くことを考えた方がいいようだ。「ようだ」というのはいまだ実践に及んでいないという意味なわけだが……(だって、夜に酒を飲まない生活なんて……。そんな人生に楽しいことなんてありますか??)。しかしこのごろは飲酒の習慣のない若い人も増えているようだし(そのくせ煙草は吸うんだから始末が悪い)、酒なしでは生きていられない、みたいなことをあんまり言うと、アル中のレッテルを張られるので、気をつけた方がいいかも知れない。アル中といえば、自らのアル中克服体験を書いた吾妻ひでおの「失踪日記」は面白かった。しかし面白い、だけではすまない恐ろしさを同時に感じたのも事実で、度の過ぎた飲酒がいかに人間の心と体をむしばむか(手の震えや幻覚体験など)、そしてまた酒に取りつかれた人間が完全に酒と縁を切ることがいかに困難か、まさに身を持って教えてくれる(他にもホームレス体験や配管工など、稀有な体験が盛り沢山!)。 またアルコールが怖いのは、長期的に体をダメにするだけでなく、短期的にも、その場での正常な意識を失わせ、最悪の場合、死に至らしめるという点だろう。最近の中島らもや、古くは「ウルトラマン」の脚本家・金城哲夫のように、泥酔して階段から落ちて一巻の終わり、という悲惨なケースも多々あるわけで、心地よさも度が過ぎるとあの世へ一直線、と言うことになりかねない。 私の知り合いに、しばしば一緒にお酒を飲むSさんという色っぽいデザイナーがいるが、彼女はお洒落(おしゃれ)よりもお酒をこよなく愛する妙齢の女性で、仕事のあとビールを「ぷはっ!」とやるために生きている(?)と公言してはばからない。しかしそのSさん、ある晩飲んだ帰り道、自転車を運転しているうちについうとうとしてしまい、自宅近くの塀に激突、前歯を欠損してしまったという手痛い経験の持ち主である。それは何年か前の話で、さすがに懲りただろうと思いきや、この夏には右手の人指し指を骨折、聞けば原因は前と同じ、自転車の酔っ払い&居眠り運転だという。これを聞いて思ったことは2つ。ひとつは「人間というのは失敗から学ぶということをなかなかしない生き物だ」ということ、もうひとつは、「それほどまでに、酒には抗しがたい魅力がある」ということである。 (2005/12/03) コラムと旅行記へ TOPページへ |